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天才の軌跡:100年前に世界で初めて「緑茶からカテキンを分離」した農学者、辻村みちよさんの人生

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辻村みちよ博士が1924年に発表した論文「緑茶中のビタミンC」より

jstage.jst.go.jp




 

たったひとりの登場で緑茶という存在は

今の世は、緑茶あるいは「カテキン」というものが大変に重要な社会となっていますが、これを世界で最初に「分離」したのは、辻村みちよさんという日本の科学者でした。

1929年のことでした。

この辻村みちよさんという方は、最近、日本よりも海外でよく報じられるのですけれど、日本の Wikipedia では以下のように書かれています。

辻村 みちよ(1888年9月17日 - 1969年6月1日)は、日本の農学者。“日本初の“女性農学博士。

お茶の水女子大学教授を経て、実践女子大学名誉教授。茶カテキンを初めて分離するなど、緑茶の化学成分に関する研究で知られる。1968年勲四等宝冠章受章。位階は従五位。

Wikipedia

 

私が比較的最近この方のことを知ったのは海外の記事においてでしたが、数日前に、インドの地政学サイトで、かなり詳細にこの方の生涯を伝えていました。

「緑茶の持つ健康要素」というものを世界に初めて認識させたという点で、偉大な人物だと私は思っています。

日本人だから、とか、女性だから、というようなことは関係ないです。

天才だからです。

この人が「緑茶」なんていう日本で昔からズズズとすすっていたものの分析なんてことをしなければ、あるいは、そこからビタミンC やカテキンなどのフラボノイドを分離していなかったら、

「その後、数十年は緑茶の健康作用がわからないままだった」

はずだからです。

緑茶というまったく日常の飲料に注意を向けたという点で天才なんです。

研究中の辻村みちよ博士

1930年 東京

 

現実、このコロナの中で各種の研究でわかったことは、

「緑茶のエピガロカテキンガレートは、コロナへの最大の予防効果を持つ」

ことだったり、あるいは、

「 HIV にもそれは適用できる」

という研究があったりと、緑茶は世界で最も有用な飲み物としての地位を固めつつあります。

以下の記事などにあります。

 

[記事] 緑茶の効用 : コロナウイルス感染予防策として浮上した緑茶は、抗ガン作用、抗肥満作用、抗不安作用を含む多くの「驚異的な効用」を持っていることを数々の論文から知る
 In Deep 2020年4月12日

[記事] HIVからも防御 : 緑茶のエピガロカテキンガレートは、エイズウイルスの感染と発症を防ぐ。そして、仮に新型コロナウイルスとの付き合いが「一生」になるのなら考えてみたい「ウイルス干渉の原則」のこと
 In Deep 2020年4月14日

 

インドの地政学サイトの記事をご紹介させていただこうと思います。

なお、記事中にあります、辻村みちよ博士が、 1924年に科学誌に発表した論文「緑茶中のビタミンCについて (On Vitamin C in the Green Tea)」はこちらにあります。

いずれにしても、何百年に 1人の天才というのは現実にいるものであり、それは今後もいつかはどこかから出てくるものだと思います。




 


辻村みちよ – 日本人農学者

Michiyo Tsujimura – Japanese Agricultural Scientist
greatgameindia.com 2023/02/16

辻村みちよは、緑茶の分野での研究で知られる日本の農学者および生化学者だった。

1888年9月17日に日本の愛知県豊橋市で生まれた彼女は、緑茶とその生化学的性質の研究にキャリアを捧げた。キャリアを通じて、辻村は緑茶研究への革新的なアプローチと、この分野の進歩への取り組みで認められていった。

 

バックグラウンド

辻村はそのキャリアを通じて、緑茶の生化学的特性に関する研究を行い、その化学組成と潜在的な健康上の利点の研究に焦点を当てた。

彼女の研究は画期的であり、緑茶を、栄養素と抗酸化物質の貴重な供給源として確立することに貢献した。 この分野への貢献が認められ、1956年には農業分野で最高の栄誉である日本農学賞を受賞した。

辻村の遺産は、新世代の緑茶研究者たちにインスピレーションを与え、後世の数々の研究に情報を提供し続けている。彼女はこの分野の真のパイオニアであり、その業績は今後長きにわたって記憶され、称賛され続けるだろう。

 

プロフィール

氏名 :辻村みちよ
生年月日 : 1888年9月17日
没年 : 1969年6月1日 81歳
職業 : 農学者、生化学者
国籍 : 日本
学歴 : 東京女子高等師範学校理科卒業
研究:緑茶
専門:植物の育種および改良

 

若い頃

辻村みちよは、1888年9月17日に愛知県豊橋市で生まれた。家族の背景や教育の状況など、彼女の若い頃の人生についてはあまり知られていない。しかし、彼女が幼い頃から科学と農業に情熱を持っていたことは明らかであり、彼女はその後、緑茶とその生化学的特性の研究にキャリアを捧げた。

彼女の初期の人生と背景に関する情報は限られているが、辻村のキャリアと緑茶研究の分野への貢献は、彼女の献身と専門知識を物語っている。

彼女のキャリアを通じて、彼女は緑茶の研究に多大な貢献をし、緑茶を栄養素と抗酸化物質の貴重な供給源として確立するのを助けた。彼女の業績は、この分野の将来の世代の研究者に道を開いた。

 

教育

辻村みちよは、日本史上初めて女性で農学博士号を取得した。

辻村は、東京府立女子師範学校で教育を開始し、その後、東京女子高等師範学校 (※ 現お茶の水女子大学)の生化学科に転校し、1909年に日本初の女性理学者として知られる生物学者の保井コノ教授の指導の下で卒業し、保井教授に科学研究でキャリアを追求するよう促された。

辻村みちよは 1913年に教育の過程を修了し、神奈川県の横浜女子高等学校で教職を始めた。

 

キャリア

辻村は、埼玉女子師範学校で 3年間教鞭をとった後、1920年に北海道帝国大学 (※ 後の北海道大学)食品栄養研究所農芸化学科の無給の助手として入社した。

辻村の研究は蚕の栄養成分に集中していた。

1922年、北海道帝国大学農芸化学科から東京帝国大学 (※ 後の東京大学)医科大学医化学研究室に異動した。

しかし、1923年9月の関東大震災により、東京帝国大学医科大学は倒壊した。その結果、辻村みちよは無給の職員ではなく、研究生として日本の新しい研究機関である理化学研究所に異動した。

農学の学位を取得した辻村は、鈴木梅太郎の研究室で指導を受け、そこで栄養化学を掘り下げた。

1923年、同僚の三浦政太郎と共に緑茶に含まれるビタミンCを発見し、科学誌 Journal Bioscience, Biotechnology, and Biochemistry に論文「緑茶中のビタミン Cについて (On Vitamin C in the Green Tea)」を発表した。

辻村は研究を続け、1929年に緑茶から化合物「フラボノイドカテキン」を分離した。これは緑茶の化学成分だ。この功績が認められ、1932 年に東京帝国大学から博士号が授与された。

1934年、辻村は日本で初めて女性として博士号を取得し、緑茶から「ガロカテキン」 (※ エピガロカテキンの異性体)を分離した。翌年、彼女は植物からビタミンC結晶を抽出する方法の特許を取得した。

1942年、理化学研究所に次席研究員として入所、1949年にはお茶の水女子大学教授に昇進。

辻村は 1955年に 67歳で正式に引退したが、1961年に亡くなるまで非常勤講師として活動を続けた。

 

緑茶研究

辻村みちよの緑茶研究は、農学の分野に大きく貢献した。彼女は特に緑茶の栄養成分と化学成分に興味を持ち、植物に含まれるさまざまな化合物の分離と同定に取り組んた。

1923年、彼女は同僚の三浦政太郎と共に緑茶に含まれるビタミン C を発見し、論文でその結果を発表した。

1929年、辻村は緑茶から「フラボノイドカテキン」を分離した。これは、植物によく見られる抗酸化物質の一種だ。

翌年、緑茶に含まれるポリフェノールの一種である「結晶タンニン」を緑茶から抽出。これらの発見は、緑茶の潜在的な健康上の利点に光を当てるのに役立ち、辻村をこの分野の主要な研究者として確立した。

辻村みちよの緑茶に関する研究は広く認知され、高く評価された。

1956年、緑茶の栄養成分に関する研究で日本農学賞を受賞。この賞は、農業科学の分野で最も権威のある賞の 1つとして広く認められており、彼女の業績の影響力を証明するものだ。

また、日本の勲章である「勲四等宝冠章」を 1968年 に受勲している。

辻村は、1969年6月1日に亡くなった。死因に関する情報はほぼない。

81歳だった。

キャリアを通じて、辻村は緑茶研究の分野に重要な貢献を続け、彼女の遺産は、今もなお新しい世代の科学者や研究者たちに刺激を与え続けている。







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