エデンの園とは
エデンの園というのは、旧約聖書の創世記に出てくるものですが、以下のようなものです。
エデンの園は、旧約聖書の『創世記』2章8節から3章24節に登場する理想郷。西洋においては楽園は、即ちこれを指す。
『創世記』の記述によれば、エデンの園は「東のかた」(2:8)にあり、アダムとエバは、エデンの園を耕させ、守らせるためにヤハウェによってそこに置かれ(2:15)、そして食用の果実の木が、園の中央には生命の樹と知恵の樹が植えられた。
これが神話か現実かということはともかく、「その場所」については、長い間、現在のイラクにあるチグリス川とユーフラテス川の合流点にあると、学術的に広く信じられてきていたのだそうです。
場所については、創世記の 2章 10- 14節にあります。
創世記/ 02章 08 - 14節
エデンから一つの川が流れ出ていた。園を潤し、そこで分かれて、四つの川となっていた。
第一の川の名はピションで、金を産出するハビラ地方全域を巡っていた。
その金は良質であり、そこではまた、琥珀の類やラピス・ラズリも産出した。
第二の川の名はギホンで、クシュ地方全域を巡っていた。
第三の川の名はチグリスで、アシュルの東の方を流れており、第四の川はユーフラテスであった。
ここから、エデンの園は、「イラクにあるチグリス川とユーフラテス川の合流点にある」とされていたのですが、ある論文で、
「エデンの園はエジプトのピラミッドの下にある」
とする内容が記されていたのでした。
これが突飛な主張なのかどうかは定かではないですが、論文はこちらにあります。
その論文を取り上げていた歴史系メディアの記事をご紹介します。
計算分析により判明 エデンの園はピラミッドの下という非伝統的な場所にある?
Computational Analysis Points to a Non-Traditional Garden of Eden Location – Beneath the Pyramids?
arkeonews.net
コンピュータエンジニアが提唱した革新的な新説によると、聖書に出てくるエデンの園は、伝統的に信じられていたメソポタミア(現在のイラク)ではなく、エジプトの象徴的なギザの大ピラミッドの真下にあった可能性があるという。
コンスタンチン・ボリソフ博士は、学術誌『Archaeological Discovery』誌に掲載された論文の中で、この興味深い仮説を概説した。
何世紀にもわたって、聖書に出てくるエデンの園は、現在のイラクにあるチグリス川とユーフラテス川の合流点にあると、学術的には広く信じられてきた。
この解釈は主に、創世記 2章 8節から 14節の記述に基づいている。この記述では、エデンは単一の川によって養われ、その後、ピション川、ギホン川、チグリス川(ヒデケル川)、ユーフラテス川という 4つの川に分岐したとされている。
しかし、この長年信じられてきた考えは、コンピューターエンジニアのコンスタンチン・ボリソフ博士によって今、疑問視されている。博士は古地図と歴史書の再解釈に基づき、新たな場所を提唱している。
ボリソフ博士の主張は、紀元前 500年頃の地図を根拠としている。
この地図には、古代文明が「オケアノス」と捉えていた四大河川(ナイル川、チグリス川、ユーフラテス川、インダス川)が描かれている。
ボリソフ氏は、聖書に登場する謎めいたギホン川がナイル川に相当すると断定している。この関連性は、ローマ系ユダヤ人歴史家フラウィウス・ヨセフス氏の著作によって裏付けられている。ヨセフス氏は、ギホン川がエジプトを流れ、ギリシャ人にはナイル川として知られていたと述べている。
ボリソフ博士は自身の主張をさらに裏付けるため、13世紀の著名な地図「ヘレフォード・マッパ・ムンディ」を分析している。
この地図では「楽園」がオケアノス川の周囲を流れるオケアノス川の近くに位置づけられている。
地理的分析と神話的象徴性を組み合わせることで、ボリソフ氏は、古地図においてオケアノス川から発する 4つの川の一つとしてナイル川が記載されていることから、エデンの位置としてメソポタミアよりもエジプトの方が有力な候補地となると主張している。
興味深いことに、ボリソフ氏はギザの大ピラミッドと聖書の生命の樹との関連性についても言及している。
彼は、ピラミッドの王の間で観測される光のパターンが、樹木の輝きに驚くほど似ていると示唆している。2012年のコンピューターシミュレーションを引用し、ボリソフ氏は、室内の荷電粒子が中心点から枝のようなパターンを形成し、生命の樹の描写を反映していると指摘している。また、ピラミッドの頂点にエネルギーが蓄積されていることを示唆する以前の研究結果も指摘した。
ボリソフ氏は、「オケアノス」に関する古代の理解を正確に地図化するためには更なる研究が必要であることを認めており、それがエデンの正確な位置を特定する上で極めて重要になると考えている。
しかし、彼は、古代文献、地図作成、神話、そして現代科学的知見を統合した自身の学際的なアプローチが、この古くからの謎に新たな視点をもたらすと主張している。
ボリソフ氏の説は従来の解釈から大きく逸脱しているものの、エデンの園の所在地を巡る探求は長く多様な歴史を辿ってきた。
長年にわたり、イラン(イギリスの考古学者デイビッド・ロール氏の提唱)やイスラエル(ヨルダン川と関連)、フロリダやモンゴルといった意外な場所まで、様々な候補地が提案されてきた。モルモン教では、エデンはミズーリ州ジャクソン郡に位置づけられている。
様々な説があるにもかかわらず、エデンの園への揺るぎない関心は今もなお続いている。
それが文字通りの地理的な場所なのか、それとも強力な神話なのかはさておき、人類の原初の楽園の探求は今もなお議論を巻き起こしており、古代の過去への新たな探究を促し続けている。