2023年10月7日、ガザ地区からロケット弾が発射される中、イスラエル南部アシュケロンの道路を封鎖するイスラエル警察。
「私には重すぎる。私は平穏が欲しい」
ガザ戦争は、いよいよ悲惨な状況を呈していて、国連は、ガザ地区の状況を「壊滅的な飢餓状態」だと分類しました。食糧が全体として枯渇し、そして、5月7日には、「ガザ地区で栄養失調予防サプリメントが枯渇した」ことを、やはり国連が報じています。
戦争というより、まさにジェノサイドの様相を呈しているわけですが、しかし、当然のことながら、イスラエルの人たちの中にも、現在の状況を好ましく思わない人たちもいます。
それはそれとして、2023年10月17日にハマスがイスラエルを襲撃した(とされる)日、侵入したハマス戦闘員 13人を殺害し、イスラエルで
「英雄」
と称えられていた警察官が、5月13日に自殺したことがイスラエルの新聞で報じられていました。
その 2023年10月7日の状況は以下のようなものでした。
2023年10月7日早朝、ハマスはガザ地区からイスラエルに向けて 2000発のミサイルを発射し、同時に国境を侵害してイスラエル南部キブツ・レイム近郊の野外音楽イベントや十数か所のキブツを襲撃した。
この襲撃で、1300人以上の非武装市民が殺された。イスラエルはガザ地区のハマスの軍事施設の無力化及び組織殲滅のためにガザ地区の空爆を開始した。
この日、ハマス戦闘員がイスラエルに侵入した時に、最初に応戦したのは警察官たちだったそうで、その中のひとりの人で、任務ではなく、自主的にハマス戦闘員と戦闘を行ったそうです。
しかし、その後、時間が経つにつれて、彼は奥様に「私には重すぎる。私は平穏が欲しい」と述べていたそうです。
その訃報記事をご紹介します。
「これであなたは自由です」 10月7日にハマスのテロリストたちを殺害した軍曹が自殺
‘Now you are free’: Sergeant who killed Hamas terrorists on Oct. 7 takes own life
jpost.com 2025/05/15
イゴール・ピヴネフ軍曹(写真提供:イスラエル警察報道官室)
2023年10月7日のハマスによる襲撃事件で勇敢な行動を称賛された警察官、イゴール・ピヴネフ上級曹長が 5月13日に自殺した。
この出来事は、遺族と地域社会に深い悲しみを残した。葬儀は 14日の夜、イスラエル南部のアシュケロンで執り行われた。
ピヴネフ氏はこの 1年半、幾度となく自らの英雄的行為を語ってきた。
しかし友人や家族は今、彼がその苦しみの多くを、感情的な負担が重くなりすぎるまで胸に秘めていたと確信している。
ピヴネフ氏は、妻のチェンさんと 3人の幼い娘たちと共に、ガザ国境近くのモシャブ・ヤテッドに住んでいた。10月7日の攻撃の朝、ヘブロンで勤務中だったピヴネフ曹長は、妻からロケット弾の発射とテロリストが地域に侵入したという報告を電話で受けた。
彼は家族を守るため、上官に帰還の許可を求めた。そして、長銃を手に、戦闘へと向かった。
銃撃戦5回、ハマスのテロリスト13人が死亡
ピヴネフ氏が初めて(ハマス戦闘員と)遭遇したのはウリム交差点だった。そこで彼は、イスラエル軍の車両に 2人の兵士の遺体が乗っているのを目撃した。
彼は車から降りて身を隠し、2人のテロリストに発砲し、殺害した。さらに道を進むと、白いピックアップトラックに遭遇した。
ピヴネフ氏は以前のインタビューでこのように回想している。
「車を停めて野原へ行き、ピックアップトラックの中にテロリストが乗っているのを見ました。全員が私に背を向け、マオン交差点に向かって発砲していました。私は彼らに発砲し、彼らが倒れた後、マオン交差点に向かって進みました。そこでイスラエル国防軍の兵士の一団と遭遇しました」
モシャブ・ヤテドに到着するまでに、彼は 5度の戦闘を経験し、13人のテロリストを殺害していた。妻と娘たちと束の間の再会を果たした後、彼はすぐにモシャブの緊急部隊に加わり、戦闘に戻った。
「あなたは私に、もう無理だと言いました」
ピヴネフ氏の葬儀では、未亡人のチェンさんが弔辞を述べた。
「あなたは『もう無理だ』と言いました。『私には重すぎる。救えなかった人たちにも重すぎる。私は平穏が欲しい』と。私はあなたにセラピーに行くように懇願しました。あなたは大丈夫だと言いましたが、いつものように、痛みを胸に秘めていました」
「あなたを自分自身から救うために、何もしてあげられなかったことをお許しください。あなたを心から愛しています。今、あなたは自由です。重荷から解放されたのです」
ピヴネフ氏をよく知る、テルアビブ地区警察のマイケル・シンガーマン中佐はこのように語った。
「私たちは特別な絆で結ばれていました。彼はまるで息子のようでした。稀有な存在で、とても強く、精神的にも強かった真の英雄でした。私たちは彼をランボーと呼んでいました。10月7日、彼はたった一人で 13人以上のテロリストを殺害しました。
「(ピヴネフ氏の死に)私は衝撃を受けており、まだ現実を受け止めきれません。何の前兆もなかったのですから」
ヨルダン川西岸地区の司令官、モシェ・ピンジ警視も敬意を表した。
「残念ながら、あなたは心と魂に隠れた傷を負いました。悪い知らせを聞いた時、私たちは時が止まったように感じました。最期の瞬間、あなたは奥様と子どもたちをを気遣いました」
「沈黙の中にあっても、あなたは英雄でした。沈黙を聞き、たとえ目に見えなくても、傷を認識する方法を知る必要があります。あらゆる変化や出来事の後、心には何かが残り、それは必ずしも消えるとは限りません。それは場所を占め、時には大きな負担となります」
システムの失敗と行動の呼びかけ
警察官と刑務所勤務者の妻たちの組織の事務局長アビゲイル・シェラ氏は、警察官の精神衛生ニーズにもっと注意を払うよう求め、以下のように述べている。
「多くの警察官があの運命の日、勇敢に戦いました。彼らは事実上、イスラエル国家にとって最初の重要な防衛軍として、テロリストと戦い、より大きな惨事を防いだのです」
「これらの警察官は今日に至るまで、大きな代償を払ってきましたし、払い続けています。イゴール氏のような悲劇的な事件の再発を防ぐためには、警察システムは特に注意深く、苦痛の兆候を察知し、警察官とその家族に包括的な対応を提供する必要があります」
イゴール氏のご逝去を悼み、ご遺族に哀悼の意を表したい。